パニック障害を発症したことで、夫婦がお互い人生において何が大切なのか、幸せとは何なのかという大きなテーマについて考えるきっかけとなり、これが人生のターニングポイントとなった。
夫の性格
負けず嫌い
性格を一言でまとめると、大の負けず嫌い。自分の好きなことに関しては大の負けず嫌い。トランプで大富豪をして遊んでいると夫が勝つまで終わらない。
潔癖症
心を許している家族以外の人と間接的にでも触れ合うのに抵抗感がある。これは感染症のコロナが流行しだしてから一層強くなった。例えば、日帰り温泉など、誰が歩いたかわからない床を歩くのが苦手。家族以外の人があるいた床・畳に寝そべることができない。サンダルは裸足では履かない。靴下があれば大丈夫。
世間体や人の目を気にする
もともと一人っ子で、親の顔を気にしながら幼少期から過ごしていた。選択の判断基準は自分中心ではなく、親が望んでいるであろう選択。それが癖づいて、今でも妻である私の顔を気にする。体調不良の私の表情などをいち早く察知し、気遣ってくれる優しい面もある。
また、人からどう見られているのかという世間体をとても気にする。家の外観・外交・玄関回り、車、職種など。
趣味・気晴らし
趣味は旅行。幼少期から行きつけの温泉旅館でゆっくり過ごすことが大好き。そこの温泉旅館は高級旅館のためたまにしか行けれない。写真や散歩のように、日常的にする趣味はなかった。身体がたるんできたため、身体をしぼる目的でジムに休みの日に行っている。
家族と過ごす時間が大好き
乳幼児の子が2人おり、我が子が大好き。子供たちも父親が大好きでとてもなついています。
夫の仕事と生活
営業職
夫は天職だと感じるほど今の仕事が大好き。誰よりも目標数を人並以上に高く設定し、何が何でも目標を達成することに執着が強い。
そして必ずと言っていいほど目標を毎月達成する。目標を達成したときの達成感や、いつもナンバーワンを取り続けることのカッコよさを求めてるみたい。結婚する前のアルバイト時代からそんな夫。
働き方
中間管理職をしており、板挟みになることがある。
営業ならではだが、出勤はややゆとりがあるが、帰りは21時~22時、時には日をまたぐこともあった。
我が子が大好きだけど、帰るのが遅く、帰った時には子供は寝ており、子供と過ごすのは朝の時間だけ。
休日
仕事で頭も身体も酷使しているため、何もする気が起きないといつも言ってゆったり過ごしている。
営業職のため平日休み。そのため、正社員の私(妻)と、保育園に通っている子供との休みも合わない。私がたまに年休をとり3か月に1回家族でお出かけをする時間を設けていたが、普段の休みで大好きな家族との時間を過ごすことができない
パニック障害発症1か月前
思い出の家が取り壊される
幼少期の思い出がたくさん詰まった築30年の借家が、壁をぶち抜かれ取り壊される場面を目の当たりにしてとても気落ちしていた。
「昔はここのお店は本屋さんがあったんよ。」「昔バイトしていたお店は今は別のお店になった。」などと昔あった場所やそこでの思い出についてよく話をしてくれていた。今思えば、このあたりから体調不良を訴えぼーっとする時間や横になって過ごす時間が増えたように思う。
目標未達成・上司の不機嫌に巻き込まれる
今の仕事の始まって以来、目標が「1」足らず、未達成になった。
上司の機嫌の波に振り回されることが多く、上司の険悪な表情やちょっとした発言にストレスが溜まっていった。上述したように、周りの人の機嫌や表情に人一倍敏感なため、受け流すこともできずに抱え込んでいた様子。
やばい、糸が切れそうなギリギリのところ。
そんな発言がパラパラみられるようになってきた。
夜間の飲酒量が増加
仕事後、「ストレスがたまりすぎて飲んでないとやってられない、眠りにつきにくい。」と言って飲酒量が少しずつ増えていった。普段は機会飲酒程度で自宅では日常的に飲酒をしない人なので相当なストレスだったのだろう。
夫婦で会話する時間がない
育児休暇を明けたばかりで、慣れない正社員の仕事に復帰して、育児をほぼワンオペ状態の日常を送っていた私は、心身ともに疲れ切ってしまい子供の寝かしつけ後に寝落ちして夫の帰りを起きて待つということができなかった。そのため普段、夫婦でゆっくり会話ができるするのは、たまに寝かしつけ後に起きることができる日のみ。夫はストレスたまってただろうな・・・。私自身も育児と自分のことでいっぱいいっぱいで完全に余白がなかった。
パニック障害発症
夫から重大な話
夫の仕事が休みの日。子供を寝かしつけた後、「話がある」と言われたため、寝落ちすることなく夫と話をすることができた。夫の表情からは、「悪いほうの話」だろうなと勘づいていたため、ドキドキした。
その話中、申し訳なさそうに半泣き状態で私に謝罪をしてきた。その後、予想外の内容であったため驚きとそれに対する疑問が湧き、なぜ?なぜ?と質問攻めをしてしまった。
パニック発作
パニック発作の症状
急に、胸を押さえ呼吸が荒くなり苦しそうにした。そして手が震え始め呼吸が浅くなり、仰向けで意識がだんだん遠のいていった。声掛けに対する反応はなく、揺さぶったりつねったりしても一切反応がない。数分後に意識が少し回復したが、また数分後に同じような発作が起こるのを10回以上繰り返した。
スマホで症状を検索するとパニック発作であることがわかった。「みんな敵だ」「人と話すのが怖い」「怖い怖い怖い」と何度も言った。そう言う度に発作が起きた。徐々に発作と発作の間隔が10分以上にあき出し呼吸も落ち着いてきていることがわかった。その時点で深夜の2時。少しずつ手の震えや呼吸が安定し、発作は動機がメインになった。
私の反応・対応
私は、何が起きているのか全く分からず、夫が死んでしまったと思った。頸動脈を確認すると脈打っていたので生きてると確信はしたが、何が起きているのかわからず、私自身がパニック状態で涙が止まらなかった。救急車を呼ぼうと考えたが、子供が寝ていたため付き添いができない・・・・などどうしたらいいのかわからず混乱状態。
スマホで検索すると、パニック発作は病院に運ばれても臓器はどこも異常がないため、「異状なし」で自宅へ返されると書いてあった。落ち着くのかわからない発作にどう対応したらいいかわからず、身体をさすりながら「大丈夫大丈夫」と言ってあげることしかできなかった。
人生において何が大切か、幸せとは何か
夫婦の答え
パニック発作が徐々に落ち着き、次の発作がくるまでの間に発作以外のことを考えれば気が紛れて楽になるかもしれないと思ったので、
妻「あなたにとっての幸せはなに」という質問を投げかけた。
夫「俺は、きみと、子供たちの将来を一緒にみていきたい」と答えた。
すると二人ともまた号泣。
妻「一緒にみていこうよ」「ずっと一緒だから大丈夫」「大丈夫」とひたすらさすりながら声掛けした。
夫は疲れ果て、寝てしまった。私も心配だったため、夫の隣で手を握ったままリビングで添い寝した。
私の決心
家族のためにこんなに身体を酷使して働いているのに、ストレスも発散できず寄り添ってあげられることもできなかったのかと。この発作が起こるまでどうして気づいてあげられなったのかと、とても後悔した。
ここで私は決心した。夫に寄り添うことを中心に生活を再スタートしたいと。人生にとってまずは家族が一番大切であり、夫と共に子供の将来をみていきたい。と感じたから。家族が幸せであっての仕事だと。妻としての役割をしっかり果たしたい。夫を支えていく。そう決意した。
以上、いかがだったでしょうか?あなたの人生にとって何が大切ですか?幸せとは何ですか?ぜひ、コメント欄に記載してもらえると嬉しいです!こちらのブログでこれからの変化等をつづっていこうと思います。
ではまた!